2024年8月9日
未来を見据えた最後の宮大工 西岡常一の偉業
日本の伝統建築の中でも、特に法隆寺や薬師寺の修復に尽力した
「最後の宮大工」西岡常一(にしおか つねかず)さんの生涯と仕事は、
多くの人々に感銘を与え続けています。
彼の生き様には、職人としての誇りと伝統を守り抜く姿勢、
そして未来を見据えた独自の視点が詰まっています。
西岡常一さんは1908年、奈良県に生まれました。
祖父や父も宮大工という家系で育ち、幼少期から祖父に連れられて法隆寺の現場に通い、
大工としての基礎を学びました。
彼の修行は非常に厳しく、特に道具の研ぎ方を徹底的に教え込まれました。
道具の手入れは彼にとっての基礎であり、
「いい道具を持てば、仕事にも手を抜かなくなる」と弟子たちに教え続けました。
西岡さんが特に知られているのは、法隆寺の「昭和の大修理」において
25歳という若さで棟梁を務めたことです。
この修理では、伝統的な木造建築の技術を守り抜くために、コンクリートや鉄筋を用いることに反対し、
学者や役人との間で激しい論争を繰り広げました。
その姿勢から「法隆寺の鬼」とも呼ばれました。
西岡さんは弟子たちに対しても非常に厳しく、特に道具の手入れを重視しました。
彼は弟子たちに刃物研ぎを徹底させ、その技術を磨くことが職人としての基本であると教えました。
弟子の小川三夫さんとのエピソードでは、納屋の掃除を通じて弟子入りを認めるなど、
行動で教える姿勢が印象的です。
西岡常一さんの設計思想は、未来を見据えたものでした。
彼は、建物が何百年先までも美しく保たれるように設計しました。
法隆寺や薬師寺の修復においては、木材の乾燥や収縮を考慮し、
狛犬や塔の大きさを意図的に異なるように設計しました。
これは、時間が経つにつれて両方が同じ大きさになるように計算されていました。
このような設計は、未来の変化を見越したものであり、
500年先1000年先を見据えたものでした。
西岡常一さんの技術と知識は、飛鳥時代から受け継がれてきた寺院建築の技術を
後世に伝えるためのものでした。
彼の仕事は、単なる修復ではなく、建物が持つ歴史的価値と美しさを未来に伝えるための
重要な役割を果たしています。
彼の生き様と仕事から学べることは、伝統を守り抜くことの大切さ、職人としての誇り、
そして未来を見据えた設計思想です。
これらは、林業にも通じる重要な教訓となります。
伝統的な林業の技術や知識を守りながら、
未来のために持続可能な森林管理を実現することが求められています。
西岡常一さんの遺産は、現代の林業や建築にも多大な影響を与え続けています。
彼の逸話や教えは、今も多くの人々に影響を与え続け、伝統と未来をつなぐ重要な役割を果たしています。
西岡常一さんの生き様と仕事は、日本の伝統建築の中で特に際立っており、
彼の未来を見据えた設計思想は、現代にも通じる重要な教訓を提供しています。
伝統を守りつつ、未来への視点を持つことの大切さを、彼の仕事を通じて学びましょう。
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