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人生の羅針盤

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残りの人生を何のために使うのか|66歳で考える時間・生きる意味・次世代に残すもの

2026年8月16日

人生の羅針盤 第3号

残りの人生を、何のために使うのか

 

「あなたには、あと何年ありますか?」

そう聞かれて、答えられる人はいません。

10年かもしれない。
20年かもしれない。
もっと長いかもしれない。

そして、それは66歳の私だけの話ではありません。

20歳でも、40歳でも、誰にも自分の残り時間は分かりません。

若い頃の私は、そんなことをほとんど考えませんでした。

時間はまだいくらでもある。

次がある。
来年がある。
そのうちやればいい。

どこかで、そう思っていたのでしょう。

しかし66歳になった今、

「残りの人生を、何のために使うのか」

という問いが、以前よりずっと現実的になりました。

 



 

人生には「残り」がある

少し暗い話に聞こえるかもしれません。

でも私は、このことを悲観的に考えているわけではありません。

むしろ逆です。

時間に限りがあると分かるからこそ、

今日という一日の価値が見えてくる。

若い頃には、時間をずいぶん無駄にしたと思います。

悩まなくてもいいことで悩んだり、
人と比べたり、
意地を張ったり、
腹を立てたり。

もっとも、今でもやります。

66歳になったからといって、突然立派な人間になるわけではありません。

そこが人生のおもしろいところでもあります。

ただ、以前よりは、

「これに時間を使う必要があるだろうか」

と考えるようになりました。

お金なら、使ったあとにまた稼ぐことができます。

物なら、失くしても買い直せるかもしれません。

しかし、今日使った一日は戻ってきません。

時間だけは、貯金できないのです。

 

病気が教えてくれた「いつか」の危うさ

私は脊髄性筋萎縮症という進行性の病気と長く付き合っています。

以前できていたことが、少しずつできなくなっていく。

今では家の中でも車いすを使っています。

病気になったから人生の真理が分かった、などと言うつもりはありません。

分からないことは今でもたくさんあります。

ただ、一つだけ強く感じるようになったことがあります。

それは、

「いつかやろう」の“いつか”は、必ず来るとは限らない

ということです。

体が動くうちにやっておけばよかった。

会えるうちに会っておけばよかった。

話せるうちに話しておけばよかった。

そう思うことはあります。

人間は、何かを失い始めて初めて、それまで当たり前だったものの価値に気づくのかもしれません。

だから今は、

「できなくなったこと」を数えるだけではなく、

「今の自分に、まだ何ができるだろう」

と考えるようにしています。

 

若い頃は「何を手に入れるか」を考えていた

若い頃の私は、

何になりたいか。
何をやりたいか。
どんな仕事をしたいか。

そんなことを考えていました。

教員になりました。

アメリカへ行きました。

カナダへ渡り、ログビルディングを学びました。

帰国して山を開き、ログハウスを建て、人を教え、林業や安全教育にも携わってきました。

振り返ると、人生の前半は、

「自分は何を手に入れるか」

を考えていた時期だったように思います。

知識を身につける。
技術を身につける。
経験を積む。
仕事をつくる。

それは決して悪いことではありません。

若いときには、むしろ必要なことだったのでしょう。

しかし今は、問いが少し変わりました。

「自分が手に入れてきたものを、誰に渡すのか」

です。

 

自分だけで終わらせたら、もったいない

長く仕事をしていると、知識や技術がたまってきます。

成功したことだけではありません。

失敗したこと。

危なかったこと。

遠回りしたこと。

「あれはやらなければよかった」と思うこと。

そういうものも含めて、経験になります。

若い人には若い人の力があります。

私にはもうできないことを、簡単にやってしまう人もいます。

それを見ると、少し悔しい。

いや、かなり悔しいこともあります。

でも同時に、

「だったら、自分が知っていることを渡せばいい」

とも思います。

自分ができなくなったから終わりではない。

次の人ができるようになればいい。

教員をしていた頃も、ログハウスを教えていた頃も、今の林業教育でも、結局私はずっと「人に伝える仕事」をしてきたのかもしれません。

そう考えると、

残りの人生で私がやりたいことの一つは、

自分が何十年もかけて学んできたことを、次の人に渡していくこと

なのだと思います。

 

何を残すかは、物だけではない

「人生に何を残すか」というと、

会社を残す。
財産を残す。
建物を残す。

そんなものを想像するかもしれません。

もちろん、それも一つです。

でも、人が残せるものはもっとたくさんあると思います。

誰かに教えた技術。

かけた言葉。

一緒に笑った記憶。

仕事への姿勢。

困ったときに助けてもらった経験。

「あの人にこんなことを言われたな」

と、何年後かに思い出してもらえること。

それも立派に、この世に残るものではないでしょうか。

自分の名前が残らなくてもいい。

誰かの中に、何か一つ残ればいい。

最近は、そんなふうにも考えます。

 

残り時間を「減っていく時間」だけにしない

66歳。

数字だけ見れば、人生の後半であることは間違いありません。

そして難病もあります。

できることが増えていく人生ではなく、これからは、できないことが増えていく可能性の方が高いでしょう。

それでも私は、

残りの人生を単なる「カウントダウン」にはしたくありません。

あと何年あるかを数えるより、

今日を何に使ったかを大切にしたい。

誰かに何かを伝えられた。

一つ新しいことを知った。

家族と笑った。

仕事を一つ終えた。

誰かの役に立てた。

それなら、その日は十分だったと思える。

毎日そんな立派な一日になるとは限りません。

ぼんやりテレビを見て終わる日だってあるでしょう。

それも人生です。

毎日を意味のある日にしようと力みすぎたら、それはそれで疲れてしまいます。

ただ、ときどき、

「自分は何に時間を使っているのだろう」

と考えてみる。

それくらいでいいのだと思います。

 

立ち止まったあと、どちらへ歩くのか

第1号で私は、

「自分の脚で歩けなくても、人生は歩き続けていきたい」

と書きました。

第2号では、

立ち止まることも必要なのではないか

と考えました。

では、立ち止まったあと、どちらへ歩くのか。

それを考えるのが今回です。

私自身、まだ答えは完成していません。

でも今のところ、残りの人生を、

自分だけのために使うのではなく、

次の人に何かを渡すためにも使いたい。

そう思っています。

技術でもいい。

経験でもいい。

失敗談でもいい。

笑い話でもいい。

そして時には、

「66歳になっても、まだ分からないんだよ」

と若い人に言うのも悪くないでしょう。

人生には、最後まで分からないことがあっていい。

分からないから考える。

考えるから、まだ歩いていける。

 

あなたは、残りの人生を何に使いますか

今日は8月16日。

お盆の静かな時間が終わり、また日常へ戻っていく人も多いでしょう。

明日からまた仕事。

また忙しい毎日。

それでいいと思います。

でも、その前にほんの少しだけ、

自分の時間について考えてみてもいいのではないでしょうか。

あと何年あるかではありません。

その時間を、何のために使いたいのか。

誰と過ごしたいのか。

何をやってみたいのか。

誰に何を残したいのか。

正解はありません。

私にも、まだ分かりません。

だからこそ、これからも考えていきます。

残りの人生を、何のために使うのか。

あなたなら、どう答えますか。

 

 

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