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人生の羅針盤

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人生には立ち止まる時間も必要|66歳になって考える「休むこと」と人生の歩き方

2026年8月15日

人生の羅針盤 第2号

人生には、立ち止まる時間も必要なのかもしれない

 

 

あなたは最近、何もせずに立ち止まったことがありますか。

仕事をしない。
次の予定を考えない。
スマートフォンも見ない。

ただ、自分が今どこにいるのかを考える。

そんな時間です。

私自身、若い頃には「立ち止まる」ということが、あまり好きではありませんでした。

何かをしていないと落ち着かない。

前へ進んでいないと、取り残されるような気がする。

仕事をして、次のことを考えて、また新しいことを始める。

今振り返ると、ずいぶん忙しい人生を歩いてきたと思います。

 


 

止まったら負けだと思っていた

私は小学校教員として社会人生活を始めました。

その後、アメリカへ行き、カナダへ渡り、ログビルダーを目指しました。

帰国してからは山を開き、ログハウスを建て、スクールを始め、林業や安全教育にも関わってきました。

一つ終わると、また次。

「今度はこれをやってみよう」

そんな生き方だったように思います。

もちろん、それが悪かったとは思っていません。

動いたからこそ出会えた人がいます。

挑戦したからこそ見えた景色もあります。

しかし、66歳になった今になって思うのです。

私は、どこへ向かっているのかを確かめる時間を、ちゃんと取っていただろうか。

一生懸命歩くことと、正しい方向へ歩くことは、同じではありません。

どんなに速く歩いていても、方向が違っていたら目的地から遠ざかってしまいます。

人生も、少し似ているのかもしれません。

 

立ち止まらざるを得なくなった

私の場合、人生の途中で、自分の意思とは関係なく立ち止まらされることもありました。

脊髄性筋萎縮症という病気です。

以前ならできたことが、少しずつできなくなる。

歩くこと。

物を持つこと。

自分の体を思うように動かすこと。

「まだできる」と思っていても、体の方から「今日はここまで」と言われることがあります。

若い頃の私なら、それを負けのように感じたかもしれません。

もっと頑張ればできる。

気合が足りない。

休むから弱くなる。

そんなふうに考えていた時期もあったと思います。

けれど、進行する病気と長く付き合っていると、嫌でも分かってくることがあります。

無理に進むことだけが、前向きではない。

休むこと。

助けてもらうこと。

今日はここまで、と決めること。

それもまた、明日を生きるための選択なのだと思うようになりました。

 

「止まる」と「諦める」は違う

これは病気に限った話ではありません。

仕事でも、人間関係でも、人生でも、

「このままでいいのだろうか」

と思うことがあります。

そんなとき、人は焦ります。

何かを変えなければ。

もっと頑張らなければ。

早く答えを出さなければ。

しかし、本当にそうでしょうか。

答えが出ないときほど、少し止まってみてもいいのではないでしょうか。

私は今、

立ち止まることと、諦めることは違う

と思っています。

立ち止まるのは、歩くことをやめるためではありません。

もう一度、どちらへ歩くのかを確かめるためです。

山の中でも同じです。

道が分からなくなったときに、一番危ないのは、焦ってむやみに歩き回ることです。

一度止まる。

周囲を見る。

自分が来た方向を考える。

そして、もう一度進む方向を決める。

人生にも、そんな時間が必要なのかもしれません。

 

羅針盤を見るには、少し静かな時間がいる

このブログを「人生の羅針盤」と名付けました。

羅針盤は、こちらへ行けと命令する道具ではありません。

今、自分がどちらを向いているのか。

それを確かめるためのものです。

人生も同じなのではないでしょうか。

誰かが、

「あなたはこちらへ行きなさい」

と決めるものではありません。

最後に方向を決めるのは、自分です。

ただ、毎日走り続けていると、自分が何を大切にしていたのかさえ分からなくなることがあります。

何のために働いているのか。

誰のために頑張っているのか。

本当に自分が望んでいることは何なのか。

そういうことを考えるには、少し静かな時間が必要です。

 

お盆だから、少しだけ立ち止まってみる

今日は8月15日。

お盆ということもあり、いつもの生活より少しだけ時間がゆっくり流れている人もいるでしょう。

家族のことを考える。

亡くなった人を思い出す。

自分が子どもだった頃を思い出す。

そして、気がつけば自分も歳を重ねている。

そんな時間があってもいいと思います。

何か結論を出す必要はありません。

立派な人生計画を作る必要もありません。

ただ、

「自分は今、どこにいるのだろう」

と考えてみる。

それだけでも十分です。

私も66歳になりましたが、まだ歩いている途中です。

迷います。

間違えます。

ときには立ち止まります。

それでも、また自分なりの方向を探して歩き始める。

前回、私はこう書きました。

「自分の脚で歩けなくても、人生は歩き続けていきたい。」

でも、歩き続けるというのは、

一日も休まず前へ進むことではないのでしょう。

ときには止まる。

振り返る。

景色を見る。

そして、

「さて、次はどちらへ行こうか」

と考える。

それもまた、人生を歩くということなのだと思います。

あなたは今、急いで歩きすぎてはいませんか。

そしてもし今日、少しだけ時間があるなら――

自分の人生の羅針盤を、静かに眺めてみませんか。

 

 

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カテゴリ:人生の羅針盤
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