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人生の羅針盤

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66歳になっても人生の答えはまだ分からない―難病と向き合いながら考える「生きる意味」

2026年8月9日

人生の羅針盤 第1号

66歳になっても、

人生の答えはまだ分からない

 

何のために生きるのか。
何のために働くのか。
私は何者なのか。

66歳になった今でも、私は時々そんなことを考えます。

若い頃の私は、もう少し歳を重ねれば、人生というものが分かるようになると思っていました。

50歳くらいになれば、迷わなくなる。
60歳を過ぎれば、自分なりの答えが出ている。

そんなふうに、どこかで思っていたのかもしれません。

ところが、66歳になってみると――

分からないことだらけです。

人生というやつは、なかなか答えを見せてくれません。

 


人生は、予定どおりには進まなかった

私は学校の教員として社会人生活を始めました。

その後、アメリカのデンバーで教員生活を経験し、今度はログビルダーを目指してカナダへ渡りました。

帰国してからは山林を開拓し、ログハウスをつくり、人を教え、林業に関わり、安全教育にも携わってきました。

若い頃の私が、今の自分を見たら驚くでしょう。

「お前、いったい何屋なんだ?」

と聞くかもしれません。

私自身、うまく答えられません。

教員だった私が、海外へ行き、丸太を刻み、山を開き、林業を教えている。

人生は、本当に予定どおりには進まないものです。

でも、予定どおりではなかったからこそ出会えた人もいます。

予定どおりではなかったからこそ、できた仕事もあります。

そう考えると、人生では「道を外れた」と思った場所が、あとから振り返れば新しい道の入口だった、ということもあるように思います。

 


「なんで俺が?」

そして私の人生には、もう一つ、まったく予定していなかった出来事がありました。

30歳前後から、体の様子がおかしくなりました。

スキーが思うように滑れない。
つま先立ちができない。
走るのが遅くなっていく。

それまで普通にできていたことが、少しずつできなくなっていきました。

そして40歳ごろ、私は**「脊髄性筋萎縮症」**という病名を知ることになります。

そのとき思いました。

「なんで俺が?」

格好のいい言葉など、すぐには出てきません。

「病気にも意味がある」

などと思えたわけでもありません。

ただ、

「なぜ自分なんだ」

と思いました。

しかも進行性の病気です。

突然すべてを失うわけではありません。

少しずつです。

前にはできたことが、できなくなる。

去年できたことが、今年は難しくなる。

この「少しずつ」というのも、なかなか厄介です。

今では家の中でも車いすを使っています。

それでも私は、HALというロボットスーツを使ったリハビリを続けてきました。

私はそれを、できるだけ「治療」とばかり考えず、**「HAL散歩」**と呼ぶようにしています。

病気だけを見つめて毎日を過ごすのではなく、人生そのものを見たいと思うからです。これまでの病気との歩みの中でも、HALとの出会いや「病気を忘れること」の大切さについて考えてきました。

 


できないことは増えた。でも――

正直に言えば、できなくなったことはたくさんあります。

そして、これからも増えるでしょう。

それを考えれば、不安がないと言ったら嘘になります。

悔しいこともあります。

未練だってあります。

「受け入れました。すべて前向きです」

などと言えれば格好いいのですが、人生はそんなに単純ではありません。

受け入れたと思った翌日に、

「やっぱり悔しいな」

と思う。

そんなことの繰り返しです。

以前、私は自分の病気について、

「難病との闘い、受け入れ、そして忘れる、でもちょっぴり未練」

と表現しました。

今でも、この言葉は案外正直だと思っています。

人間ですから、未練くらいあっていい。

 


自分の脚で歩けなくても

病気になってから、「歩く」という言葉の意味が変わりました。

若い頃の私にとって、歩くというのは脚を前へ出すことでした。

今は少し違います。

もちろん、もう一度自分の脚で少しでも歩きたいという気持ちはあります。

しかし、それだけではありません。

自分の脚で歩けなくても、人生は歩き続けていきたい。

最近、そんなふうに思います。

人生を歩くというのは、何か大きなことを成し遂げることだけではないのでしょう。

今日、誰かと笑う。

新しいことを一つ知る。

誰かに「ありがとう」と言う。

失敗しても、また考える。

できなくなったことを嘆きながらも、今できることを探す。

それもまた、人生を歩くということなのかもしれません。

 


66歳になって分かったこと

では、66歳まで生きてきて、何か分かったことはないのか。

少しくらいはあります。

その一つが、

人生には、一つの正解などないのではないか

ということです。

若い頃には正しいと思っていたことを、今では違うと思うことがあります。

逆に、若い頃には価値が分からなかったものを、今になって大切だと思うこともあります。

人間は変わります。

環境も変わります。

体も変わります。

だから人生の羅針盤も、一度決めた方向をずっと指し続けるものではないのかもしれません。

ときには立ち止まって、

「自分は今、どこにいるんだろう」

と確かめ直す。

それでいいのではないでしょうか。

 


このブログを始めます

今日から、「人生の羅針盤」というブログを始めます。

ここでは、成功する方法を教えるつもりはありません。

「こうすれば幸せになれる」

などという答えも、私には分かりません。

コヴィーやアドラー、フランクルをはじめ、これまで読んできた本や出会ってきた人の考えにも、ときどき助けてもらいます。

でも、このブログの中心に置きたいのは、誰かの立派な名言ではありません。

私自身が66年間生きてきて、

迷ったこと。
失敗したこと。
嬉しかったこと。
悔しかったこと。
そして、今も分からないこと。

それを正直に書いていこうと思います。

そして、その話を材料にして、読んでくださる皆さんにも、ご自身の人生を少しだけ考えてもらえたら嬉しい。

このブログは、答えを教えるブログではありません。

人生について、あなたと一緒に考えるブログです。

66歳の私にも、まだ人生の答えは分かりません。

だから、これからも考え続けます。

そして私は――

自分の脚で歩けなくても、人生は歩き続けていきたい。

あなたは今、
どんな人生を歩いていますか。

 

 

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カテゴリ:人生の羅針盤
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